淺の川、さくら、水芸

良いお天気でした。
暖かな、お花見日和でした。

前の晩、金沢「淺の川園遊会」の実行委員の方々が、
我々新派即席「水芸滝の白糸一座」を、歓待して下さいました。
夜桜を観て、「まつ本」で、海鮮鍋をご馳走して下さり、
通称、東の郭(郭ではない、最高の芸達者な芸者さんの町)
石畳、両脇に、100年は経った、置屋さん、お茶屋さんが並ぶ。
そこに八尾から、「風の盆恋歌」で有名になった、おわらを呼んで、
その東の石畳を流して行くのです。
東のお茶屋さんは、超満員。二階座敷を空けはなって、
お客さんが鈴生りになって見守るんです。
男踊りが4人、女が6人、皆、背の高さビシッとそろって、
踊りもそろって、とても綺麗でした。

また、私は、現実を離れて、何年か前の、八尾を思い出していました。
観光客用にそろった踊りを見せて、お開きになった後、
気のあった者同士、グループを組んで、自分のための、おわら、踊りになるんです。
夜も更けて、そう、二時か三時か、空の白む前、
いろんなグループが、おわらに酔いしれて流れるんです。
10名もいるグループ、4人だけのグループ、それぞれです。
私はテレビの取材で、八尾の立て三味線
と云われた、故長谷川昭悦さんご一家に、
ついて歩いた。無論、三味線は長谷川さんとお弟子さん、
お嬢さんが、踊りの名手で、お婿さんが胡弓を担当、
ほかに太鼓、おわらの歌い手2人、かなり大きなグループだ。
「風の盆、、」の作者、高橋 治先生が、頼んで下さったグループだ。
その頃の、観光客は、マナーが素晴らしく、
テレビの取材班も、それを心得ていた。
しかも、その時間まで、残っている観光客は、
観光客ではなく、おわらに魅せられてしまった人だったから、
コンサートの雰囲気で皆が息を詰めて聴いていた。
取材されている長谷川さんご一家は、お気の毒に、
サービスで唄い、サービスで踊っていて下さったが、
その他のグループは、まちまちだった。
町のあちこちから、いろいろな声のおわらが聞こえる。
決してうるさくないし、まるで狙ってぶつけたみたいに、
綺麗に混じりあっていた。
自信ある者は、通りを堂々と陶酔して流した。
同じ道で二つのグループが行き会った時は、
おわらの上手い方を、自然に優先して、声を落としてすれ違った。

狭い路地を三味線だけを連れた、、、そう、、
80才くらいのおばあちゃんが、しゃがれた声を張って、
おわらを唄っていた。
その、おわらが胸にジーンと染みてきた。
ワタシャ おわらの為に生きているんだヨ。
この世は悲しい、、、でも、楽しいネ、、、、って、
その小さな身体の大きな声の小さなおばあちゃんの後ろ姿が、
そう、云っているように感じられた。

金沢の東の郭で、八尾のおわらが聞ける!
時代の流れを感じつつ、長谷川昭悦さんの言葉を思い出した。
9月1日の風の盆まで、稽古だけでは、もう、待ちきれない。
三味線かくし持って郡上八幡まで、行って、
料亭に上がって、芸者さんが三味線弾いたら、もう堪らなくなって、
三味線出して一緒に弾いて、郡上の流しに紛れ込んだ、、、って、
そう言えば云っていらしたっけ、、、と思い出した。

オナカ一杯ののはずが、何だか空いて来ちゃって、
そう言えば、ノドグロをまだ食べてないって、
なじみの「よし村」に駆けつけた。
よーく太ったノドグロ3匹焼いてくれた。
治部煮も無論食べた。
行者ニンニク、蕗の薹、タラの芽、こごみ、えーと、、、
ともかく春の芽と云う芽はみんな食べた。
私の好きな「手取川」は、演出家成瀬先生には、
甘口過ぎるとのことで「黒帯」をぐいぐい飲んでいた。
私は菊姫のにごり酒がほしかったが、なかった。
ナーンテ云うと飲めるみたいだが、見かけ倒し。
チビチビチビチビ、お猪口に4杯。後はもう頭痛、動悸、呼吸困難。
葛切りとさつまいもアイスでお開き。
美味かったぁ!!!

あれ?  金沢の園遊会に水芸を披露しに行った報告なのにぃ?
ごめんなさい、、、続きは後ほど、、、に。

こんなに、、、回想してしまうのは、
お年寄りってことなのかしら。
by funny-girly | 2007-04-09 13:57 | くいしんぼ

水谷八重子 タワゴト

by funny-girly
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