カルチャー・ショック

ひとつの道をひたすら歩き続けた人、、、小松原庸子先生。

大きかった。眩しかった。頼もしかった。悲しかった。
フラメンコ、、、情熱、そのものの踊り。

セルリアン・タワーの能舞台でのフラメンコ。
違和感が全くなかった。

先生の舞踊団のセンス、技術、びっくりする質の高さが嬉しい。
庸子先生の血の滲むような踊りを私は観ていない。
その頃は、お兄さまの菅原謙次オトーサンと芝居をするだけで、
庸子先生とのお付き合いはほとんどなかった私だ。

日劇の初期のレビューでのフラメンコしか知らない私は、
面白くもないし、訳のわからない、楽しくない踊り、、、と、思っていた。

オトーサンが亡くなって、大切な大切な人を失った痛みから、
庸子先生とのお付き合いが始まった。
日比谷の野外音楽堂(って云うんでしたっけ?)で、
初めて先生の舞踊団を拝見した。

ウッソーーーフラメンコってこんなにカッコイイの!?
ただすごんでるんじゃないんだ、楽しい踊りなんだ!!
日本人なのに、こんな、こんな、こんな風に踊れるんだ。
なんて素敵なの。何なの?この太陽みたいな感じって。
興奮してしまった。庸子先生って凄い!!!

でも、オトーサンも庸子先生も、常磐津のお家からどうして???

それから夜は、お台場の日航で、旗 照夫「あなたと夜と音楽と」に行った。

「ヤダなぁ、12月には後期高齢者だぁ」なんて笑わせて、
「♪Love~is a many~splendored~thing~」と軽々何でもなく唄った。

何て、良い声なんだろう!!!
昔より、ずっと良い声のような気がする。

もっとも、私がデビューしたときには、大、大、大先輩、
雲上人の本当に上手いスターシンガーで、足もとにもよれない存在だったのに、
親の七光りシンガーの私は、恐いもの無し「バビー、バビー」と、
馴れ馴れしくも、図々しくも、なついていた。

ふた月に一度のこの会にいつでも歓迎してくれた。
夕べの真夜中にメールで頼んだのに、席を作ってくれていた。

たまらなく受けるオシャベリ。
スーッと歌に入っていく絶妙なタイミング。

何よりかにより、良い声、酔える声。
そして、イヤになるほど、、、上手い!
時間がアッと云う間に過ぎてしまう。

行かなきゃ良かったかな、、、?

自分の口から、声を出すのが恐くなるんですよネ、彼の歌を聴いてしまうと。
自分のショーの前だもの。なおさら、、、ネ?

でも、私のは演じる歌。歌の役になって表現する歌。だもんネ〜
とウソブキツツ、、、さて、寝るか、、、トラも私のベッドを占領したようだし。

皆さん、お休みなさいませ。
by funny-girly | 2008-10-04 05:09 | 雑文

水谷八重子 タワゴト

by funny-girly
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31