2012年 10月 19日
あしあと
10代20代30代は難無く切り替えがいとも簡単に付けられた。
20年あまりのブランクがあって、急に「唄う」って表現がしたくなったのだが、
10年以上のブランクは大きかった。
私自身にとっても、時代の変換ってことでも。
まずは、ビッグバンドがいなくなった。
数多くのフル編成の譜面が使えなくなっていた。
冬のソナタテーマを唄うリュウさんのファンになったために、
フュージョンって今まで知らなかったジャンルのミュージシャンに出逢った。
音楽の世界も一変していた。
フュージョンの神さまみたいな増崎孝司さんが、妙な距離を置きながら接してくれた。
まず、世代が親子ほど違ってた。ジャンルも違ってた。
必死にくっついて行った気がする。
初めてのディナーショー、開幕前、孤独で震えた。
舞台に向かって楽屋を出ながら増崎さんがメンバーに云った。
「何があっても、歌に付いてくぞ」
この時の嬉しさを忘れない。
4人の屈強な男性達に、音楽に、一気に包まれた。
孤独じゃない!仲間が、頼もしい4人の仲間が支えてくれる!
「さあ、お客さま!お客さまのための私です。力、出し切ります。楽しんで下さい」
グランドハイアット、赤坂プリンスホテル、そして、
もっと身近にと、ライヴハウスに移った。
「ピーヒャラピーヒャラ」のグループ再結成で
増崎さんは身体が幾つあっても足りなくなって、
ずっと静かに、口数少ないピアニスト安部 潤さんが、
アレンジその他、総ての音楽的面倒をみてくれる事となった。
そして、何回、やったでしょうかしら。
たった一日のために、首が取れてしまうかしらって云うほど、緊張するライヴ。
ま〜だ、その緊張がどっかに残っていて、
「麦秋」の邪魔をしている。
ディナーショーの時の舞台装置の道具帳が出て来た。
「大つごもり」の美術をやってくれた松村さんの道具だ。
今や、懐かしい。
ステージ前のスナップも懐かしい。
キャバレー一曲のために北村英治さんを迎えたとき。増崎バンド。
北村さんなしの増崎バンド。
安部さんバンド。
今年の春、、、、その時、飛び入りのお客さま。
そして、未だ抜け出せないこの間の秋。
何にも考え無しに決めた色のドレスだったけど、、、
ちょうど10月、まさに「ハロウィーン」
カボチャ色のドレスだった私。。。
by funny-girly
| 2012-10-19 02:29