セ・フィニ

たったの66才で大杉 漣さんが亡くなった。

一度もお目に掛かった事はないけれど、ショックを覚えた。

ご自分でも、狐に摘まれたような想いでいらっしゃるのではないだろうか。。。

人間、生まれて来た以上は、確実に死ぬ。

「死ぬ」んだなぁ。 終わるんだなぁ。って改めて思った。


ヴァレンタイン・ライヴに後、9日と迫って、こじらせた風邪が辛く病院に行った。

「緊急入院!」肺炎だった。白衣に囲まれて、これで?私、死ぬ?、、、って思った。


まだイヤだ!

ヴァレンタインに何とか這いずってでも、会場に行って唄おう、何事もなかったかのように!

闘志は満々に湧いたけれど、、、声も無事に出ていたけれど、、、力が出ない!

頑張っても頑張っても、いつもの力が湧いてこない。。。情けない。。。

お客さまに心で詫びながら、、、何とかお終いまで漕ぎ着けた。

こんな、死にザマをお客さまに見られてなるものか、、、って思った。



私を育ててくれた、母の一番上の姉さん。

母とは20才年の差があったから、厳密には母もその、水谷勢舞、アーチャマに

育てられたのかも知れない。厳しい人だった。ガンガン叱られた。

完全に私の母だった。母は、外で働いて、父の代わりだった。

そのアーチャマが80才を過ぎる頃、毎年、冬になると、心臓発作に見舞われた。

明治の倹約家のアーチャマは自分用に暖房を付けなかった。

温かい部屋、寒いトイレ、発作を起こす材料は一杯あった。

発作を起こすと、見る間に顔の色が変わっていく。

黙って見ていられず、背中をさする。

細い細いアーチャマの腕が、信じられない力ではね除ける。

それほど苦しいらしいのだ。そして救急車で山王病院に。

そのケースが4年続いた。

5年目の2月、、、ベッドにキリッと座ってアーチャマが言った。

「私はね、本当に幸せよ。何から何まで幸せなのよ。幸せだって事、覚えておいて頂戴ね」

何を急に、珍しいお説教じゃないなんて、、、。

翌日の明け方、、、そーっと、アーチャマは眠りに付いた。

2月19日、、、昭和43年、、、50回忌を過ぎた。

いいなあ、、、そんな風に言えたらなぁ、、、。


ヴァレンタイン・コンサートにいらして下さったお客さま、翌日が99回目のお誕生日!

私、まだ、まだ、弱音吐きません。

頑張ります。1人でもお客さまがいらして下さるかぎり。
by funny-girly | 2018-02-22 17:01

水谷八重子 タワゴト

by funny-girly
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