ブルーフレーム

ひとつの時代が終わった。
完全に終わった。

原 信夫とシャープス&フラッツのファイナル・コンサート。

満席だった。私も含めて、観客の年齢層はメチャ高かった。
、、、だから、ファイナルなんだな、と納得した。

真っ白なスーツのメンバーが、両サイドから綺麗に登場。
真っ赤な「#&♭」の譜面台の後ろにおさまる。
おさまった所に、袖からサックスを抱えて、ツカサン(原 信夫さん)登場。
相変わらずのダンディ。オシャレ、カッコイイ。
一段と高まる拍手。

4本のトランペット。4本のトロンボーン。
バリトンサックス、アルトサックス2本、テナーサックス、
プラス、ツカサンのテナーサックス。
ベース、ギター、ピアノ、ドラムスの4リズム。

フルバンドだ。ビッグバンドだ。

普通、胸がわくわくしてくるはずなのに、胸が詰まった。
これが、、、なくなる、、、?

ビッグバンドは何処にでもいた。
作る譜面は、ほとんどが、このシャープの編成だった。
トランペットが3本だったり、トロンボーンが3本だったり、
バリトンサックスとギターの譜面がバンドによってはいらなくなった。
でも、どんな地方のクラブに行ってもフルバンドが入っていた。

その、トップにいたのがシャープス&フラッツだった。
それらのクラブが皆、姿を消した。
人は、録音された「音」で踊るのが当たり前になった。
それすら最近はヴェルファーレが閉まってからは、
何処に行って良いのやら分からない。

「夜遊び」に興味津々になり掛かった私を、母はクラブに預けた。
クラブに入っているビッグバンドのリーダーに預けられたのだ。

最初は「渡辺 弘とスターダスターズ」だった。
仕事のない時は、バンドの横に座って、唄う番を待つ。
つまり、ダンスタイムの歌手だった。

豪華だった。憧れのクラブだった。夢の宮殿コパカバーナ。
バンドは16人編成のスターダスターズと、
そのチェンジバンド(これはコンボがほとんど)には、
ナベプロの元、渡辺 晋とシックス・ジョーズが入っていた。

憧れの超豪華、ナイトクラブも、裏は芝居の楽屋と一緒だった。
何処までもドレープの寄っているビロードの壁も、
見えないところは、ベニヤだった。
社員用の食堂もあった。ウインナを炒めて貰ってよく食べた。
美しいホステスさんも良く食べていた。
バンドの連中は、近所に食べに行っていたようだった。

私はミソッカス、お願いして預かって頂いた歌手だった。
ってぇことは、無論、ノーギャラのミソッカス。

だから、コパのオーナーが私の誕生日に、
高そうなシャンパンを抜いて祝ってくれた。

ある日、渡辺 弘リーダーが「良重、来月からキャバレーに変わるので、良重は連れていけない。後は、シャープで勉強しなさい」との別れ話。
ちゃんと、母と話し合いで、決まっていたようだった。

私は、歩いて通える赤坂から、銀座に移った。
銀座のクラブ、いえ、ナイトクラブ「モンテカルロ」も、
コパとは違っていたが華やかだった。
ほとんど毎晩、ツカサンの隣に座って、歌の番を待つ。
ラテンを演奏するときは、立ってクラベスって拍子木を、叩いた。
ツカサンの奥さまがまだその頃はピアノを弾いていらっしゃった。

帰りは、ツカサンがダメならバンドの誰かが送ってきてくれた。

楽しかった。
若かった。
少々歌をトチッても何とも思わなかったし、踊ってるお客さんは気にしていなかった。


私が知らないだけで、ビッグバンドの世界はあるんだと、信じていた。

「原 信夫とシャープス&フラッツ」がなくなる。

私の、青春の思い出も、もうこんなに「昔」になってしまったんだと、今日は、
何だか、、、とっても、、、淋しい、、?心細い?
兎も角も、私、ヘンな気持ち。
by funny-girly | 2008-11-03 05:18 | 音楽

水谷八重子 タワゴト

by funny-girly
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